元野村証券社員、小学校で「お金の授業」を始める

取材特集 吉田友哉(Japan Asset Management)

「学校を作りたい」

取材の冒頭で、吉田友哉氏は真顔で話し始めた。

立命館大学を卒業した後、野村證券に入社してバリバリのキャリアを歩んできた彼は、2019年7月に会社を辞め、東京駅の目の前にオフィスを構える独立系の資産運用アドバイザリーファームのJapan Asset Managementに入社した。

「以前から、証券会社のお客様との付き合い方に違和感を感じていた。」

野村證券の総合職は、通常2年〜5年で転勤を繰り返す全国転勤だ。吉田氏も3年間 東京の支店で勤務した後、名古屋の支店に転勤して新たな顧客を担当していた。

「吉田さんの意見を聞きたいんだけど・・・。」

転勤後間も無くして、以前担当していた顧客から連絡がきた。その52才の男性は、新しい担当者から資産運用に関する提案を受けていたが、人生設計や家族構成などをちゃんと理解してくれている吉田氏の意見が聞きたい、という。

野村證券では、新卒で支店に配属された新入社員は、一から顧客を開拓して自分自身の基盤を作っていく。顧客の資産運用の相談を受けながら、その悩みに応えられるように勉強して、有益なアドバイスができるようになっていくのだ。吉田氏も顧客の期待に答えようと必死に対応してきた。今でも毎朝7時前には出社して、日経新聞だけではなく、専門誌に目を通している。

日経画像

「知識は当たり前。でもいくら知識があっても、その人のことを理解していないとダメなんです。」

当たり前の哲学だが、日本の証券会社のビジネスモデルは、何十年もの間、これを無視し続けている。転勤を前提としたローテーションで収益を上げてきたのが現実だ。

自問自答を繰り返す中で、自ずと答えは出ていた。野村證券のブランドを捨てることは勇気が必要だったが、長期的に顧客に寄り添うスタイルへと、その一歩を踏み出したのである。

オフィス画像

実は、大手証券会社を退職して、独立系ファイナンシャルアドバイザリーファームに転職する人が増えている。彼らは、証券会社によく見られる商品戦略やノルマといった悪のしがらみを排除し、顧客本位のアドバイスを目指している。それでも、日本の独立系のアドバイザーの数は約3500人(2018年時点)で米国の約13万人の30分の1にも満たないのが現状だ。

そして、独立系には歩合制による過激な営業の助長という負の側面もある。

「当社は固定給与の制度だから、自分の理想と重なる。」

多くの独立系ファイナンシャルコンサルティングファームが、従業員を歩合制で雇用しているのに対して、Japan Asset Managementは固定給の制度を採用している。その理由として、代表の堀江氏は「歩合制の営業は、過度な手数料稼ぎを助長しかねない」と語る。

本来であれば富裕層に限定して営業活動をするのが、収益を最大化する方法だが、吉田氏はあえてそこにこだわらない。

「誰もが金融教育を気軽に受けられる学校を作りたいんです。」

京都で生まれ育った吉田氏は、7才でサッカーを始め、高校生の時は国体選手にもなった。立命館大学に進学しても、体育会のサッカー部で汗を流した。大学でもレギュラーが狙える位置にいたものの、怪我に泣き、最終的にはマネージャーとしてチームのサポート役に回った。

大学時代

父親が小学校の校長、母親は養護学校の先生。教育関係の一家で育ったからか、昔から人をサポートをすること、教えることが好きだった。

昔は、アフリカに学校を作って教育の機会を与えることがしてみたいな、と考えていた。しかし、「今はもっと身近なところからできることがあると実感している」と言う。

そんな彼は、来年の1月から、地元の小学校で金融教育の授業を始める。もちろん一切収入には繋がらないが、”大きな視野を持つこと”を大切にする代表の堀江は全面的に応援してくれていると言う。

「これからの日本は守ってもらえる時代じゃない。まずはお金について知るところから始めないと。最初の一歩が大切なんです。」

そう熱く語る彼の目は、真っ直ぐに前を見つめていた。

面談画像

December 11, 2019


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